大澤ひろし百句抄       藤本美和子選
(「泉」平成18年8月号より)

人裁くかぎり痩身春の暮         『晩祷』
天の川子を呼びて湯を溢れしむ
癒えし子と節分の豆星へ撒く
 長崎に転任す
妻子率て来し国果や毛虫焼く
蟬の坂来し喉乾く殉教図
 長崎盆祭
墓参花火寺町は墓はためけり
朝の弥撒泰山木は露しぼり
灯すより雪俄かなり朱欒売
踏絵の坂青梅売のひそと坐し
冬の泉かがみて身より湧くごとし
十字架売る泰山木の匂ふ下
人参引く胸に溜めきし聖書の語
緑さすオルガンに載る一聖書
珊瑚礁揚羽の翳のわたる見ゆ
春惜しむ甕は豊かに口開けて
筏師の眉吹かれけり芦の角
鹿尾菜刈岩の天辺昏れて来る
ラーゲルに埋めし青春羽蟻出づ
 小母巴盆会
桑畑わたる念仏踊の灯
筍のあけぼのの土こぼれけり
母と祖母の膝は知らずよ草の絮
鷽替へてそくばくの運あるごとし
梅雨蛙ことばたまれば出て歩く
 帰京
露草の露けき終の栖なり
遠き合歓遠妻病めばまた遠し
蟻地獄沛然と雨到りけり
 深大寺
青梅雨や師の墓に顔映りけり
 磐田市西光寺
秋風やつまづきこぼす閼伽の水
雪原に焚く火の上に雪降れり
小走りに来て尼の肘茄子を捥ぐ
法師蟬長き合掌包みけり
銀婚へ一日を加ふ合歓咲きて
ほのぼのと雨後の箒木紅させり   『雪原』
水際より昏れゆく湖のほととぎす
波郷忌の初氷とはなりにけり
雪片の泉に触れてうひうひし
岩の間のくらき生簀や夏燕
葉桜の影を浴びゆく喪の妻は
河鹿聞く耳のうしろに椎の闇
先頭の蟻がまがりて列曲る
夜雲より一と雨こぼれ鉦叩
えご散るや水よろこびて奔りけり
夾竹桃戦後生き得て髪白し
昨日大事明日大切に薺粥
 昭和二十三年五月ソ連より復員せし折の
曝書よりこぼれ引揚証明書
種飛ばす鶏頭妻はまだ来ずや
天龍太郎痩せに痩せたる笹子かな
見つめゐし綿虫つひに見失ふ
山下りし水紅梅の前を過ぐ
大寒の母の見てゐる雀かな
寒鴉こらへし声を出しにけり
日の射して来し薄氷の桑畑
真青な雨が降るなり誘蛾燈
遠方の母を視るべく登高す
母生きる限りを雁の渡るなり     『端居』
白鳥の声凡百の鴨の声
祈りては人の離るる冬泉
はるかなる妻にも寒の明けゐるや
人の上墓の上ゆく草の絮
飛び降りて地をたしかむる雀の子
はんざきの何をのみたる貌ならむ
何もせぬ膝に日が来て忍冬忌
ひろげ干すこの天草のまくれなゐ
次男坊こたびは子連れ礼者にて
手を振つて歩かねば老ゆ朝の霜
エスカレーター地下へ地下への西東忌
家深く夕風入れぬ葛桜
夕日まだ草にありたる生姜市
比良山のうつる鮎苗覗きけり
箒屋に箒ぎつしり文化の日
栃の葉の影をふやして燕の巣
あかんぼに日の射してきし雛かな
なにもなき水をみてゐる夕端居
山水の光の中に扇置く
雨のやむころを知りをりきりぎりす
きつぱりと枯に入りたる葡萄の木
かすかなるお降りを妻ききとめぬ
あかんぼの手わたされゆく雛の前
胆嚢がなくても枝垂櫻かな
雨上がる風のきれいに夏祭
灸花にも散りどきのきてゐたる
盆東風やなにも吊らざる自在鈎
流燈のしばらく燃ゆる音したり
秤られてゐる寒鯉の目の光
枯葎競馬新聞ひつかかり
水飲みて負凧の糸またぎゆく     『南平』
もどりきし流燈に胸照らさるる
妻がいふまた甚平を裏返し
濡れてきし光悦垣に初音かな
たてがみの長きを選りて真菰馬
荒草に置けば流燈瑞瑞し
水口のまはり刈られて盆の入り
松手入妻が指示をしてをりぬ
一挙手を万の船虫見逃さず
花菖蒲ぞくぞく剪られ束ねられ
一重瞼二重瞼へお年玉
吉備団子手にのせられて生身魂
どこからも見えて雪吊り一つあり
水に輪を生めるかそけきものの秋
烏瓜蔓を忘れて真つ赤なり