関戸靖子百句抄   井上弘美選

(「泉」平成22年3月号より)

木偶鴨の眼のかなしくて雪降れり   『湖北』
紅刷きてをとこ真顔やあがた祭
仕舞鵜は仰山に魚喰はされぬ
 祇園さん
鉾紅し嫁に来し日の衿の色
水飯や鉾しんかんと高曲る
家郷いつも誰かが病めり干菜汁
 父を看病りつゝ母逝く
柩へ父のめりて投ず寒椿
夕霰冥府の母に被布やらむ
壬生の面したたか泣きて汚れけり
 この冬、波郷先生亡し
雪が道消してしまひぬ鴨番屋
 職場にて倒れし夫、そのまゝ逝く四十二歳
細めても喪の春燈に変りなし
七日喪の子が摘みて来し芹洗ふ
泣くために遺されにけり濃紫陽花
亡夫の金使ひ減らしぬ麦こがし
青葉木菟つくづく夫は早死よ
ちちははへ雨の六道詣かな
螢狩して魂を置いてきぬ
さびしくてなやらひし鬼呼び戻す
波郷忌の綿虫なれば袖囲ひ
雁ゆきてしまひし足のさむさかな
ゆれやまぬ一樹見えゐて雛納め     『結葉』
山墓へ人の消えたる猫じやらし
藁塚を数へて眼ぬくうしぬ
雪女郎に逢ひに戻りし湖の国
つま思ふはげしき刻の野火熄みぬ
初花の幹のまなかに日あたりぬ
佛きてくるびし浸すさくらかな
空蟬を恋の言葉のごとく置く
湖へ風の切子を吊りにけり
白玉や雨退りゆく湖の沖
鐘ひとつ撞いてきたりし菊畑
赤ん坊に食べさせてやり大根焚
松焚いて船霊さまを起しけり
じやがたらの咲いて天女を嫁にして
洗ひ鯉昔男の忌なりけり
あをあをと盆の月あげ魞の村
さくら湯の花のゆつくりひらきけり 『春の舟』
山中に大きほとけや鴉の子
棚経の僧にくらしのこと聞かれ
手鞠唄日向のひとつづつ消えて
かきつばたものを書きては窶るるよ
嫁ぐ子と水からくりを見てゐたり
夢殿を惚と見て過ぐ無月かな
古魞の竹ひつぱつて春の舟
蛭蓆念珠忘れて来たりけり
花の名のさだかなれねど水中花
草々を照らしてゆくか灯籠舟
かたまつて日の斑つつけり紅葉鮒
夫死にしあとのながいきとろろ汁
山風に口ひきむすび吉野雛
青あらし川を走れるくらさかな
形代を流して山河かなします
嬰のこゑ家ぬちにあり茄子の馬
蘆の辺に流れつきたる夕日かな
お松明身を貫いて走りけり
紅梅に百夜通はば句のなるか
みづうみのおほかたは暮れ春祭
鮎食べて父母の山河をまだ訪はず
かくて世のどんでん返し浮いてこい
どの水に灯籠置かうかと思う
棟梁の二月礼者となりて来る        『紺』
南無観の声をしぼりて夜の梅
平等院しだれ櫻の芽なりけり
佛壇の奥のきんいろ百千鳥
魞竹を曳くは国引き春の湖
雛の前でんぐりがへりしてくるる
六十の弟が来るお白酒
甘茶佛すこし日向に出てをられ
もののふは蒼白の面壬生念佛
つよき草一本入れて夏花とする
でで虫に夕焼色の幹ありし
衣紋竹なにも掛けねばなまなまし
みづうみの映つてをりし金魚玉
食へとこそ土用蜆の荒袋
火を吹いて絵ときの蛇の流れ行く
仮の世と思ふ涼しさ菓子食べて
これしきのことを一生鱧の皮
門火焚くをはりは風の吹き散らし
親鸞のはなし障子を貼りながら
うつくしき閻魔を見たり萩の中
ざうざうと瀧の力の冬近し
杉山へ子を抱き上げて七五三
ふゆぞらや日本海まで鳥の数
歳月の立ち止まりたる龍の玉
木菟鳴いて宵寝の父でありにけり
池普請いいかげんなる生簀組み
みささぎの松の高さよ羽子日和
いつせいに濤打上り鏡餅
魞袖のぴんと張りたる寒の入
たましひの浮寝の鴨に並びけり
浮寝鳥彼の世に流れ始めけり
若き日の髪冴ゆるまで泣きしこと
寒月の照らし始めし河原草
われゐるや百鬼夜行図毛皮被て
節分のなかぞらに日の落ちゆけり
勝彦先生
また水を打ちに出でては泣きにけり     『紺』以降
吾にことばすなはち冬の泉かな
鳥帰る土の残りし植木鉢
病み痩せて父似とおもふ夕雲雀
吾の句を作れと八月乙女子は