石田勝彦百句抄 千葉皓史選 (「泉」平成17年4月号より) 草の餅引つぱつて食ぶ老母かな 『雙杵』 高浪を風の離るる厄日かな 鷄頭のこぼせる種子の熱からむ 紅滲みたる稲荷寿司母に冬 苗束の双つ飛んだる水の空 麦秋の狂ほしきいろ湖の北 渡岸寺 観音の臍見て返せ夏燕 聖夜劇モーゼの杖は子に倍す 山国の星の大粒春祭 炎天を砂に張つて一休寺 捨箒とは簗箒露けしや 秋風や幹ごと揺るる白樺 田燕となりて返しぬ蟹満寺 柿といふ温かきもの冷たきもの 元日の日向ありけり飛鳥寺 不退寺の實南天また實南天 ぼうたんの紫蕾青蕾 かたかごを引つぱる風の吹きにけり 網の目にかさごの眼あり沖がすみ 舟虫の出揃つてをる端午かな 水揚げの鯖が走れり鯖の上 老人の椅子をもち寄る杜若 甲州子安 風吹いて山々盆に入りにけり 白煙の中の青煙萩を焚く 小鳥来る説教台は一本足 餅搗のまだはじまらぬ臼と杵 残雪の奥へ奥へと杉の脚 落花はや流るる幹となりにけり きりきりと結ひて茅の輪の端そよぐ 水引の數條にして一弧あり 『百千』 鷄頭の混み合つてゐる根元かな てのひらを押す元日の仔牛かな 雪原をゆく銃口を怠らず 湖南 魞竹をがらがら落す蓬かな 栞して一書浩瀚更衣 風の盆腹で胡弓をひきにけり 一打より發す十夜の鉦の律 初弓を解きし紫床にあり 吹かれ立ち吹かれ立ちくる落花あり 老ゆるとはかく高かりし夏欅 秋風やここにも富士の餘り水 妻を喪ふ 妻ふつと見えずなりたる千草かな 桔梗の一莖抜きて束ゆるぶ 走り去る容の水の澄みにけり 瑞牆山凩びかりしてゐたる 冬鷗二階に聲をかけてくれ あたたかき血を思ひけり初泉 伊豆沼 白鳥の乗つて氷の曇りけり 迎火の跡ひとつ過ぎひとつ過ぎ 茸籠より一つづつ名を告げて 鐵橋を渡して大いなる焼野 老鶯や干潟を水の貫きて 眼が裂けてをる炎天の鷗かな 青蘆の伸び足らざるはなかりけり 夕菅の一本足の物思ひ 露の牛背骨に皮のひつかかり 冴え返るとは取り落すものの音 『秋興』 うとうととしてかたくりの花ふえて 雛飾る誰のものともあらぬ雛 春雪の樫の面テとなりにけり 纜の張りてはこぼす春の雪 沼舟の着きしところに苗障子 陽炎も涙の中のものも揺れ 瑞牆山を空に置きたる菫かな 一瓣にして酒中花のまぎれなし 蛤のぶつかり合つて沈みけり ひとつづつひらく辛夷となりにけり 霞むならこの山のこの木の下で 枝あげてあげて白桃咲きにけり 数へざる数へられざる石鹸玉 春眠に屈し春愁にも屈し 烈風の枝ことごとく桐の花 走り茶の針のこぼれの二三本 老人の大きな耳や旧端午 鯉あげし沼のひびきて麦の秋 黴のもの埃のものの中にあり 緑蔭に入りて楡とはやさしき名 草抜いて土をいたはる佃びと 遅れたる足を引き寄せ蟇 瀧音の中より痩せてもどりけり 陵灼けて日本人のみな老いて 人悼むこと土用芽に触るること 一つづつ扉が開いて夏の濤 ふた重なる間の暗き秋の虹 秋草のすり切れてゐる物干場 コスモスのまだ触れ合はぬ花の数 紅薄立つ幼な子が立つやうに 秋風の持ち上げてゐる蟻の足 新しき胡桃と古き胡桃かな 松茸を裂きて女身のごとくなり すこしづつ風のさらへる今年藁 君が胸林檎を磨くためにあり 替りたる畳の上の影法師 マルクスをかなしむ冬の帽子かな ねんねこの中よりしたるいびきかな 大海の端踏んで年惜しみけり 落枝の下びつしりと冬はこべ 白襖よりまじまじと見つめられ 祝ぎごとも悲しみごとも室の花 節分の子供を分けて通りけり