美柑みつはる百句抄    藤本美和子 選

(平成25年「泉」9月号より)

苗代のにごり定り種下し         『農暦』
畦切つて梅雨の出水の田を守れり
夕顔の種蒔き雨城の忌を修す
夜桑摘む雲走りゆく月の暈
注連綯ふや父の綯ひ癖引きつぎて
塗り上げて父の太畦揺るぎなし
寒肥や長子てふ枷負はされて
休耕と決めたる稲架を解きにけり
味噌搗や母がめくりし農暦
葉隠れの柚子色に出て波郷の忌   『作大将』
 毎年大山寺で直哉忌を修す
歳時記も吾と古りけり直哉の忌
梨棚の上に首出し剪定す
 糖尿病の気ありて
生涯の一椀飯や蜆汁
吾亦紅妻を見舞の花とせり
落穂拾ふ作大将の母に蹤き
手を入れて母がきげんの田水沸く
捩花の花の終りの捩ぢかげん
稲架のべて出雲の神の道とせり
生涯を鵙に啼かれて農に老ゆ
鍬始め父が拓きし田が眩し
二百十日蟹がバケツの底鳴らす
稲刈つて天下論ずることもなし
母が居て父が居て畦焼き始む     『早苗饗』
迎へ火や藁一束の大あかり
四五人の毛見の来てゐる青田かな
欲深き口あけて吸ふ熟柿かな
太箸の栗の若木の匂ひけり
棒立ちに立つが憩ひの田草取
迎火やございございと母の声
立春や黒牛の背の藁屑も
猪鍋や今も残れるぢげことば
うらなりの柚子に色出て波郷の忌
 悼 細川加賀先生
庭にふる欅落葉を涙とも
加賀先生の来さうな道や下萌ゆる
丹念に墨を磨りたる笹子かな
鷄のくはへて走る接穂かな
御僧と波郷を語る柚子の晴れ
田草取る腰のラジオは安来節
稲架組むや縄ひとひろを手に垂れて
村役に出る袖無しをはをりけり
地の底に足が吸ひつく田草取     『亥子餅』
百姓の疲れ殺しの濁り酒
水口の水のかけひき糸蜻蛉
根の国の雲のあつさや木守柿
 わが句碑成る
赤蜻蛉訪ひ遊ぶ句碑建ちにけり
八朔や研ぎ細りたる鎌幾つ
累代の田の幾枚を初景色
倒れ稲起こす鎌の刃殺しつつ
足あげてせかせごころの瓜の馬
八月大名瓜坊に芸仕込みをり
白息をかけて印捺す減反書
納屋の釘春待つものを掛けにけり
大山の押し出す水に代を掻く
草刈機肩に喰ひ込む敗戦忌
秀野忌やむらさきうすき秋薊
毛見衆のだんまりの目とすれ違ふ
村の田に水ゆきわたる粽かな
縁側は母の座小鳥来たりけり
亥子餅われにこの母あるかぎり
筵目のあからさまなる雑煮餅
かなかなや使ひ痩せたる身を使ひ
八朔や灯ともしごろの黄粉餅
大山寺賄ふ大根漬けにけり
種下す神宮暦にしたがひて
海鳴りのかよへる豆の叩き棒
梨咲いて化粧削りの畦の幅
手間賃にさなぶり餅を添へにけり
坊領の村は百軒稲の花
大柄の父に大きな瓜の馬
田水沸く豊年えびも生れ出て
村ぬつて田水が下る後の月
日の匂ふ若布の端を揃へをり
父の日の脛を濡らして戻りけり
指先に紙縒の伸びる良夜かな
水仙に隠岐の白波たつ日かな
枝ぶりの男の松を迎へけり       『亥子餅』以後
芹摘むや谷十尺の水谺
対岸は黄泉の国なる梨の花
天領の水の固さや代を掻く
夕顔の数をほめたる日記かな
初猟の音のこだまの二発かな
野ねずみの穴のいくつや畦を焼く
半切りのたがの青竹雛祭り
蓬餅焦げて父母呼びにけり
草餅や母来の国の佛たち
桐の花日暮は母の墓より来
墨に水一滴たせる薄暑かな
直哉忌と四十年やななかまど
白牡丹水やり命ながらへり
葉の裏を抜け出ていろの秋茄子
今朝秋や墨一滴の和紙にほふ
底紅や上り框のコップ酒
鍬始め土ほつこりと応へけり
うすれゆく眼に匂ふ若菜摘む
杖たてて植田を覗く試歩の道
病室を逆さのぞきの雀の子
極上の風筋に稲架組みにけり
大根蒔く鍬が知りたる畝の巾
受皿は手のひらでよし熟柿吸ふ
嫁が君燭のゆらぎは神の風