一月集

点眼        きちせ あ や
点眼のゆきわたりたるちちろかな
圓生の墓にぎはしき小鳥かな
ゆつたりとよぎる翼や種を採る
鳥居へと渡る吊橋冷まじき
霜降の沖へ向きたる風車

白式部        井 上 弘 美
百年の木肌秋光あふれしむ
水澄むやしんと使へる足の裏
露むぐら安山岩を組みし邸
この邸に蚊帳吊りしころ秋の風
日ざらしに琴の朽ちゆく白式部

秋の水        辻     純
穭より風の生まるる谷戸狭間
どの向きに流れゆくとも秋の水
佇めば時の早まる烏瓜
古き書に古き一翰小鳥来る
町の灯の増えしひと色秋深む

秋思         菅 家 瑞 正
秋闌けて風のメリケン波止場かな
茹栗の湯気真つ直ぐに卓の上
「赤い靴」口遊みゐる秋思かな
遠くより人に呼ばれて水の秋
水澄んで今が極みと思ひけり

晩秋         柴 崎 七 重
秋曇り路地掃く音の立ち上り
文机にとどく夕日やおけさ柿
路地うちに人の声して月今宵
墓濡らす雨とも冬のはじめなる
空と海同じ色して冬近し

冬隣          岡 野 由 次
いくり波ありてしぶけり鰯雲
かぎりなく立たされてゐる種鶏頭
碧落の熟柿一個にめまひかな
とり出して熟柿いちいち掌
曖昧に土均らされて冬隣

桐の実         秋 山 てつ子
逝く秋のかすかなりける水の音
まなかひを過る鳥ごゑ秋気澄む
やや寒のわが影曳けり草の上
桐の実の日当る坂の景色かな
青年の呟きとほる海桐の実

秋のばら        長 沼 利恵子
霜降のオランダ船の灯かな
くれなゐは異郷の香り秋のばら
山晴れておくらの花の咲き終ひ
用のなき人の立ちたる刈田かな
 三輪山
穭田の真ン中一の鳥居かな

花野行く        石 井 那由太
花野行く病むも天意と受けとめて
やや寒の運河をいそぐだるま船
水澄んで禾いつぽんを流しけり
綿虫となら夕空に浮かばんか
夕くれなゐ飯桐の実の高々と

二 月 集

年の市         きちせ あ や
地下鉄に匂ふ川風年の暮
ゆりかもめ垂直降下明治丸
延びてゆく飛行機雲や餅を搗く
日記買ひふと誕生日なりしこと
いそいそと木影を踏んで年の市

冬隣          井 上 弘 美
忿怒仏一体拝す萩の風
大仏の鼻梁より秋澄みゆけり
サーファーの立つ十月の夜の波
虫の闇とほく波頭のあらはれて
ひとつづつ波の朽ちゆく冬隣

綿虫          辻     純
褪せのこるポスターの黒冬隣
押入れのサムソナイトや冬隣
綿虫の生れて初めの日の光
冬蝶の影の地上を離れざる
初雪の消しゆくゼブラゾーンかな

欅落葉          菅 家 瑞 正
括られてよりの冬菊畑かな
畦草にくれなゐ交じる初時雨
これはまたいやはや欅落葉かな
湯気立や硝子戸越しに甲斐の山
冬空の中のパンパスグラスかな

冬           柴 崎 七 重
海よりの明るさにあり枯芒
店先の新海苔の香に近づけり
二の酉へ一人の足を運びをり
十字架の天辺に来て冬鴉
冬の月見上げながらの坂長し

夜の時雨        岡 野 由 次
冬天へ稜張り出して宅配車
家裏の夜の時雨をききとめし
しぐるるや片膝立ては腰庇ふ
湯婆のじんじん鳴るを受けにけり
竹しなひきつたる隙間雪降れり

神迎          秋 山 てつ子
切り岸を打つ波音や神迎
フライパン買うて勤労感謝の日
都とは淋しきところ十二月
アトリエに誘はれをり敷松葉
冬ざれのもつともなりし己が貌

枇杷の花         長 沼 利恵子
凩を抜け金環のイヤリング
赤き実の空に鳴りゐる神迎
雀らの日向に散つて波郷の忌
物を問ふ言葉ばかりや枇杷の花
ひと時雨すぎたる後の草の色

冬泉          石 井 那由太
ちやぼ桧葉に鋏が入り小六月
しろがねのあかがねの艶朴落葉
三十三才墓石墓石に声かけて
しぐるるや馬の貌など撫でもして
翡翠の一閃を待つ冬泉

三 月 集

初風            きちせ あ や
子らの声交じる寒柝遠ざかる
初風を聴く筑山の峠かな
満月の鏡開きとなりにけり
話したくなれば香焚く寒さかな
鍋釜を小さく春を待ちにけり

大文字山          井 上 弘 美
大文字山の一画しぐれけり
蕪村忌の月光を汲む井水かな
年の餅とて奥出雲よりたまふ
山彦のもどらぬ落葉しぐれかな
寒の雨真竹に鉈の打たれけり

冬至            辻     純
老人の一礼ふかき年の暮
鉄塔に鉄塔の影冬至の日
老人と犬に翳る日小つごもり
初夢の砂漠に道を尋ねたる
身にわたる四日の朝日つつがなし

漱石忌           菅 家 瑞 正
山路に差しかかりをり漱石忌
暗黙の了解にして龍の玉
漆喰の壁の眩しき冬至かな
冬耕や立つも屈むも一人にて
年惜しむ鳥獣戯画の猿たちも

年始            柴 崎 七 重
井戸の水のどを通れる年始
何よりも空気旨しとお元日
寝正月電話の鳴つてゐたりけり
一木の晴れ通したる三ケ日
七草に少し足らざる椀なれど

枯柏            岡 野 由 次
せきれいに道がひろびろ年の果
稜立てし音の落葉の走りけり
柏枯れきつて辺りを払ひけり
枯柏雲の流れもやがて止む
真向の寒木の揺れわれの揺れ

枝打ち          秋 山 てつ子
口細のよく釣れ天皇誕生日
敷松葉雀いつまでゐることよ
枝打ちの谺わたり来瑞泉寺
悠然と吹かれゐるなり番鴨
竹藪を射る天日や三ケ日

侘助           長 沼 利恵子
炊き上がる五穀が紅し松迎へ
初夢や飛んで双手を広げたる
書初の赤たつぷりと使ひけり
はこべらのみどりにあふれ七日粥
侘助の二つひらきて師の忌日

冬            石 井 那由太
日だまりは雀だまりとなりて冬
鳥籠の声の明るき冬至かな
尾を振つておほつごもりの尉鶲
一輪を挿して冬薔薇まくれなゐ
人日の松笠ひとつ拾ひけり

四 月 集

青梅           きちせ あ や
お涅槃へ菜のふさふさと青梅かな
一杓の水の甘しや涅槃寺
寛政の月を真つ赤に涅槃變
胸像の院長先生桃の花
借景の山の近づく雛かな

一弦琴          井 上 弘 美
寒晴や一差し舞へる白拍子
緋袴をひく寒明けの舞楽殿
立春の山を間近く一弦琴
春霰の音なく打つて能舞台
簪に螺鈿のあをき余寒かな

節分           菅 家 瑞 正
端渓に墨磨つて年新たなり
忙中に閑ありて冬桜かな
寒鴉自讃の声を張りにけり
日当りてこそ枯菊といふべけれ
節分の畑土は靄上げにけり

春            柴 崎 七 重
寒明けの雨つぶ頬にうけてをり
春淺し父と母との墓の前
立春の月かかげをる湾の上
春来たるわが一木の海に向き
住みなれし裏通りなり春の雪

日脚伸ぶ         岡 野 由 次
皸のしんじつ真つ赤日の出前
あくまでも青空つづき手足荒る
切岸の見えずなりたるマスクかな
水仙はしづもりにける日のありど
日脚伸ぶ日脚伸ぶ灯を点しけり

寒鴉           秋 山 てつ子
麦の芽や空青すぎて遠すぎて
田芹摘む片脚宙に浮かせては
寒鴉貝殻蹴つて波蹴つて
日脚伸ぶ雲ひたすらに南へ
風花や鎌倉野菜買ひもして

日脚伸ぶ         長 沼 利恵子
オルガンに十指ひらけば日脚伸ぶ
風花や魚板の音の高まりて
脚長き鳥の歩める遅日かな
赤鬼の紛れ込んだる缶焚火
恋猫に輪ゴム鉄砲飛ばしけり

肩車           石 井 那由太
風花や鶫は畦に立ちつくし
一月の富士に対へる肩車
鶫寄り来て寒明を告げにけり
富士の影負ひて公魚釣られけり
菩提寺の梅の香りも師恩かな

五月集

彼岸           きちせ あ や
墓草を摘んで引いて芳しき
切株のまさらを撫でて入彼岸
春水の落ちる谺や羽村堰
三月の機嫌のこゑやかいつむり
わが町にふゆる空地や春の空

寒            井 上 弘 美
寒晴や一番槍の金細工
赤穂事件絵巻三巻冬旱
伝大石良雄の笛も寒の内
義士果ててより寒梅のことに白
手向けむと吾が寒影を折りにけり

梅の花          菅 家 瑞 正
立雛の視線の奥の山河かな
耕人の遠くの山を見てをりぬ
のど飴を一つ下さい梅の花
諸鳥の声や羽音や藪椿
青空の欠片を映し芹の水

春            柴 崎 七 重
春の雪一人の昼餉とりながら
人声やあきらかに水温みたる
しばらくは佇みをりし夜の梅
啓蟄や鴉の声のつつぬけに
亡き母の手がそこにあり雛飾る

風の隙          岡 野 由 次
一樹づつ影ひとつづつ寒が明く
認知症とぞ盆梅をあふれしめ
風の隙あればすかさずいぬふぐり
沈丁花のみの盛りを終りけり
三月の指ささくれてひと見舞ふ

囀り           秋 山 てつ子
たれかれに声をかけたし春の夕
明け方の月の朱さや一の午
囀りや賽銭箱に日の差して
柳絮とぶ旅の記憶や陸奥の国
抜け来たる潮の匂ひの春の闇

上巳           長 沼 利恵子
ひびかせて踏む白砂の余寒かな
塩ふつて洗ふ魚や木の芽晴
武士の世を見て来し雛飾りけり
人声に魚の寄り来る上巳かな
斑雪野や謡の声の高くして

浅春          石 井 那由太
枝垂梅日照雨の雫ひからせて
立子忌の土筆野をゆく少女かな
浅春の谺となりてけらつつき
水の上に身を乗り出して囀れる
風の日のまなざし深き雛かな

六月集

夕影          きちせ あ や
ぜんまいの直立二本水源地
軒花に霽れゆく村や春祭
雨粒の総ゆれの花木五倍子かな
半島の夕影伸びしさくらかな
花束に麦のみどりや一周忌

楽譜          井 上 弘 美
花こぶし一斉に風ほどくなり
オルガンに楽譜いちまい百千鳥
つばめ来る村野四郎の声聞けば
春の闇埴輪の馬を満たすなり
出土せしまま花冷えの火焔土器

茎立          菅 家 瑞 正
玄関の開く音がして牡丹の芽
道なりに行けば峠や雉子の声
校庭の朝礼台や鳥雲に
茎立や刀自は姉さん被りにて
覗くだけ覗くや芹の水ならば

春           柴 崎 七 重
うしろより春風もらひ段葛
朝々の春の落葉の掃き溜まり
遠出するほどなき春の土踏みて
わが屋根の掲げてをりし春の月
コーヒーに砂糖のしづむ花疲

花ぐもり        岡 野 由 次
棕櫚の葉の打ち合へる音春眠し
跳ねしるき男の水仕花ぐもり
あかんぼの本泣きに入る遅日かな
歴々とけじめを鳴けり春の猫
恋すみていつもの猫の抜け通る

黄心樹の花       秋 山 てつ子
雀らの声吹かれゐる草若葉
黄心樹の花の下にて傘ひらく
木苺の花のころなる鳶の数
白鼻心出る話など野に遊ぶ
実朝の海より来たり春愁ひ

百千鳥         長 沼 利恵子
陽炎の向かうに二つ山羊の貌
眼張釣るおのころ島の岩間かな
茎立をざつと摘みたる目籠かな
イーゼルの向き定めたる百千鳥
くろぐろと濡るる踏み石仏生会

桜の息         石 井 那由太
ご朱印をひとつ加へて野に遊ぶ
北窓を開き鴉に呼ばれけり
梅林の失せたる空を鳥帰る
花どきの水を離るる鴨のこゑ
丹田に桜の息を収むべし

七 月 集

夏に        きちせ あ や
大いなる渦を描けり耕運機
堰音の一途に夏に入りにけり
口笛とならざる口やかきつばた
河骨のひとつ咲いたる休暇かな
入院のこと考へず河鹿笛

鞍馬        井 上 弘 美
金泥の眼一対春の闇
暮れかぬる空にかざしぬ降魔扇
牛若の声ともなりて春落葉
田鼠化して鶉となるに闇足らず
切株のさらす断面春の暮

接骨木の花     菅 家 瑞 正
花筏小さき橋を潜りけり
アブラチャン咲き鶯の谷渡り
接骨木の花差し向けよ水の上
畝立てに縄の張らるる雲雀東風
泣くときは空を見上ぐる朴の花

夏         柴 崎 七 重
父の墓見上げて五月来たりけり
夜の蟻の行方しばらく追ひもして
包丁の水切る厨夏夕べ
猿島を近々とせる日傘かな
遠眺め東京湾の五月波

折返しバス     岡 野 由 次
帰る鳥折返しバスしきりなり
鳥帰る洗ひ砥石の雫して
たのもしき躑躅の日陰ありにけり
雲まぶし脚立がまぶし躑躅園
触診に肋応へておぼろかな

豆の花       秋 山 てつ子
遅き日の漣はしる田水かな
豆の花しきりに母を思ふ日ぞ
汝が踏みし音ふり返る春落葉
聖五月ベイブリッジも鴎らも
銀杏の花降る日本大通り

大佛        長 沼 利恵子
大佛の胎内に立つさくらかな
巣立鳥監視カメラを外れけり
一杯の熱き茶を待つ遍路かな
巻貝の内の火色や麦の秋
吹き上げる風の強さや柏餅

風青し       石 井 那由太
天に向け雲に向けたる朴の花
天領の授かりものの筍よ
金色の雲より降りて昼寝覚
夕月に向けたる蟇の歌袋
鎌倉の千の矢倉や風青し

八 月 集

夏至           きちせ あ や
葭雀思ひ出しては鳴けるかに
南風の上へ上へと鳶の羽
手術痕一直線を撫でて夏至
スリッパをそろへ一人の梅雨深む
短夜の薄刃をつつむ白布かな

三十三回忌        井 上 弘 美
みづいろは父恋ひのいろ夏衣
追善の畳に坐せり蚊遣香
芍薬を一対とせる父の供花
一燭に水回向とは涼しかる
父逝きし後のことども鮎の膳

余り苗          菅 家 瑞 正
ここからは会津領とぞ桐の花
挨拶はたつた一声茄子の花
余り苗風に吹かるるだけのこと
的などは無けれど草矢放ちけり
このところ朝な朝なの時鳥

秋            柴 崎 七 重
夕路地になびかせてをり洗ひ髪
今年もよ亡父の好みのいさき焼く
待つ人のありて買ひ来し新走り
海風の墓の前なり秋日傘
その中の見覚へありし秋袷

水木咲く         岡 野 由 次
水木咲く急峻をまのあたりかな
黙々とはた刻々と棕櫚の花
六月や生きつづくこの薄き胸
梅雨の樹の吐息のごとし被りけり
返す風あり病葉が乗りにけり

緑            秋 山 てつ子
緑さす厨の柱鏡かな
日の丸を仰げり風の芥子坊主
竹皮を脱ぐ昼月のあはあはと
母が言ふ夜風の湿り麦の秋
ちかぢかと夜空ありけり独立祭

行々子          長 沼 利恵子
明易のひかりにかざす双手かな
簀立まで潮引いてゐる行々子
一茎をしなはせて鳴く行々子
十人に見らるる草矢放ちけり
姿見の中の子どもやみどりさす

はつなつ         石 井 那由太
はつなつの木々は翼を広げけり
ゆつたりと亀の流るる芒種かな
睡蓮のはるかな数をまぶしめり
翠黛の故山へ放つ草矢かな
夕映の葦の尖なる葦雀

九 月 集

牛蛙        きちせ あ や
青蔦ののびはうだいの朝湯かな
口付けるには広すぎる清水かな
牛蛙ひとこゑ呉れて勝彦忌
六千日さまへ燭接ぐ師恩かな
先生もほほづき市もはるかなる

夕螢        井 上 弘 美
影もたぬものの涼しき水辺かな
夏夕べ日比谷に入り江ありしころ
ほうたるを待つは闇まつ誰を待つ
夕螢花緒につよく足を入れ
螢火に指さして呼ぶ人のなし

羽抜鶏       菅 家 瑞 正
梅雨鴉無聊の声を立てにけり
日は西に傾いてゐる羽抜鶏
次までの河鹿の声を待ちにけり
ぽきぽきと折られてをるは夏蕨
枕辺や明けの四時なる時鳥

夏来る       柴 崎 七 重
晩年や葉桜の下歩きゐて
佃煮の小さき包み梅雨晴れ間
いとけなき指の追ひゐる蟻の列
亡き父の顔ありありと夏帽子
夏帯やこの頃母を忘れゐて

梅雨穂草      岡 野 由 次
いちはやき呼応にありぬ梅雨穂草
蹤くごとく雨中実梅のころがり来
片蔭に細身ひらひら入りにけり
身の丈の縮まりて出づ木下闇
しばたたく旱の眼尖りけり

單衣        秋 山 てつ子
梅雨に入る鉛筆の芯尖らせて
射干や御僧が過ぎ婆が過ぎ
栗鼠の声見上げてゐたる浴衣かな
山番はをんななりけり梅雨茸
郭公や辻商ひの笊を買ふ

ほたるぶくろ    長 沼 利恵子
闇に向くほたるぶくろの花の口
遠くまで潮引いてゐる穴子飯
父の日のソースの焦げる匂ひかな
黒潮の帯明らかに草刈女
四万十の鮎の苦さも身養ひ

笹舟        石 井 那由太
あめんぼと笹舟がゆく水の空
羽抜鶏駆けずにゐられなくなりぬ
郭公のひと声ごとに昼深む
ひと汗を拭ひ富士山近くせり
夕立あと雀の一樹にぎやかに

十月集

爽涼           きちせ あ や
爽涼の幹撫でにけりプラタナス
存分に洗ひ流さむ墓面
焙烙のまつさらをなで盆迎へ
水馬秋の水輪をひとつかな
奥美濃の闇を忘れず踊唄

夏了る          井 上 弘 美
鍬形に原生林の朝の雨
誰もゐぬ青水無月の山上湖
滝壺を亘つて来たる男かな
逝く夏の夜のみづうみ鱒料理
姿見に容れる全身夏了る

雲の峰          菅 家 瑞 正
自転車で来て絹莢を摘んでをり
この畑には蝮など出るといふ
茹で物の匂ひ立ちをり昼寝覚
雲の峰読まねばならぬ一書あり
万緑の中の大八車かな

夏来る          柴 崎 七 重
鉛筆をにぎりてをりし昼寝覚
片蔭となりてしばらく父の墓
つぎつぎと蟻の道なり夜の畳
月あれば見上げながらの路地したし
眺めゐてたたみてしまふ夏羽織

朝曇           岡 野 由 次
朝曇茶筒滿たしてありにけり
ムックリを弾けばコタンに小鳥来る
日曜の朝雷の駈けりけり
鍋釜のありど変らず昼寝覚
見えそめし青毬栗や道の照り
夏痩せとばかり言うてもをれずなり

稲の花          秋 山 てつ子
炎天の砲口暗き三笠かな
夕顔の宮ゐの裏にまはりけり
名代の一本松や源五郎
風過ぎる脛のあたりや稲の花
広重の海の風来る夏料理

AED          長 沼 利恵子
片蔭に入るやローラースケーター
夕顔の高きに二つ咲いて風
AED戸口に備へ蟬時雨
水音の俄に近し青柏
ふでばこに鉛筆二本夏果つる

投函           石 井 那由太
手招きをされて向かへる片かげり
父母は言はず語らず蟬の穴
ゆきあひの空にかかれる虹の橋
葛原に立つ青き風白き風
投函の音たしかむる夜の秋

十 一 月 集

八朔        きちせ あ や
八朔の富士をそつくり目の当り
水うまき村の案山子を見に行かむ
あきる野の風のふうせんかづらかな
ふふむには玫瑰の実の紅すぎる
吊橋につく頬杖や休暇果つ

白          井 上 弘 美
父の忌を他郷にありて秋簾
一日を雨に仕ふる終戦日
風葬や白さるすべり白式部
化野のひかりましろき秋の繭
白衿に打つ月光の小町針
 
つづれさせ      菅 家 瑞 正
米芾の墨痕一字鳥渡る
草藪に昨夜の雨粒つづれさせ
畳屋に秋の風鈴吊られけり
半日は降りみ降らずみ萩の花
曼珠沙華相模の山を遠く見て
 
秋          柴 崎 七 重
初秋の便りを落すポストかな
寄りかかる柱のありし秋扇
思はざる人より届く新走
秋夕日眩しむ父の墓の前
久品寺の山門またぐ秋の風
 
秋          岡 野 由 次
おしろいや埃しづめの雨匂ひ
通夜びとの屯たむろへ稲光
かけ抜けて秋雷通夜にかかはらず
遅れまた遅れ蚯蚓に鳴かれけり
鶏頭を的に絞りし夕日かな
 
秋燕         秋 山 てつ子
芙蓉咲く母校の名簿届きけり
またひとつ忌のふえにけり秋燕
見尽してだんだん淋し葉鶏頭
秋高しルパン三世マーチ聞く
爼板の鱗を流すカンナの辺
 
黒南瓜        長 沼 利恵子
猿酒雨の匂ひの混りたる
ゆがみゐる所を称へ黒南瓜
毒草は薬草にして秋暑し
竹林の中の暗さや厄日過ぐ
かつと鳴る人工関節鶏頭花
 
秋水         石 井 那由太
新涼や妻のさらへるマンドリン
白波のひとつひとつに秋のこゑ
団栗の袴が飛んで厄日かな
すぐに揺れたがる風船葛かな
秋水をひと掬ひせる山の晴
 
十 二 月 集
先々の        きちせ あ や
どんぐりを二つ拾ひし手のくぼみ
先々の明るむ桜落葉かな
ひと枝の銀水引や月を待つ
足許に眞白き萩の名残り花
秀野忌の一人住まひに泊り客
 
良夜         井 上 弘 美
物音澄むなり水中を魚の行き
雁渡るころ伊勢御影石に座し
青石に伊代はるかなる曼珠沙華
懸巣鳴く祭はつぴの子どもらに
簀の目入り和紙をいちまい良夜なり
 
色無き風       菅 家 瑞 正
北国の色無き風の湖畔かな
末枯や二頭立て馬車ゆつくりと
蝦夷富士を借景として豊の秋
冬を待つえぞ松もまたとど松も
秋の虹太平洋に懸りけり
秋          柴 崎 七 重
自然薯を剥く夕暮れの指の先
冷まじや風の形の海辺の木
人声の後より来る路地は秋
夕日さす花屋の花に秋の蝶
手のひらに乘せ一枚の枯葉かな
 
蟷螂         岡 野 由 次
奔放のことに紫式部かな
明暗をもつていちにち実紫
天は天木の実はひたに藪打てり
みごもりの蟷螂の黙久しかり
蟷螂の脚ゆるび草ゆるびけり
 
蓑虫         秋 山 てつ子
すつぽんの首立ててをり蓮の実
虚子句碑の辺にしばらくを秋の昼
蓑虫や浦の辻なる子(ね)のやしろ
丁寧に洗ふかんばせ小鳥来る
桐の実に触れし手のひらかざしけり
 
衣被         長 沼 利恵子
鉦叩一つ飛ばして叩きけり
なまぬるき水飲んでゐる敬老日
衣被さてここいらで歌おうか
蓑虫の蓑の堅さも城跡かな
朝雨の通り過ぎたるななかまど
 
かりがね       石 井 那由太
かりがねの声を合はせて月よぎり
月代を後れゆきたる雁一羽
秋興や月毛の馬と眼が合ひて
湖風はアイヌの風よ冷まじき