一 月 集 柿簾 きちせあや 初冬の水迸る古刹かな 大寺やここにかしこに柿簾 富士に雪降るはうたうを啜りけり 魚の名はシナノユキマス菊日和 自らへ贈らむポインセチアかな 雨 井上弘美 台風の近づいてゐる禽舎かな 秋深しうすゆき鳩の青き羽根 山羊の仔に干し藁をまく暮の秋 雨冷の印度孔雀の冠羽かな にほどりに闇のつのれる秋袷 鶺鴒 菅家瑞正 鶺鴒の縺れ合ふとき啼きにけり 蛇穴に入るを具に見届けて 愁嘆の泪にあらず鰯雲 息深く吸うて色無き風の中 晩秋の畑土は靄上げにけり 冬 柴崎七重 もたれたき柱のありし小春かな 月上げて近くなりたる向う山 一枚の落葉に余る子供の掌 拾ひきし中の一つを木の実独楽 隣人の声に目覚めし今朝の冬 黄落 岡野由次 高架道交差の隙間いわし雲 理髪店出づ秋風に取り巻かれ この先の道はひとりの烏瓜 夕鵙や曲りなりにも鬱と書き 黄落の翳ひそめたる訃なりけり 十三夜 秋山てつ子 谷あひの空揺れゐたり葛かづら 堰音の呶呶と十月桜かな 銅鑼ひとつとほり過ぎたり秋さうび 十三夜ベイブリッジを遠く見て 行き交ふる雲のいろいろ十三夜 牛の貌 長沼利恵子 秋耕の一と平らなる鳶の声 うらがれの音を聞きをる牛の貌 湿原の底のひかりや濃竜胆 そはそはと人の入りゆく芒原 火の色の口紅を買ふ冬用意 黄落期 石井那由太 トーストを一枚焼いて文化の日 杖振つて歩くチャプリン黄落期 蚯蚓鳴く神経衰弱てふ遊び 秋深し離宮の空に鳶ひとつ 鵯鳴いて蘆原枯れをいそぎけり 二月集 跡も無き きちせあや 跡も無き廐舎や冬菜ふさふさと 撫で牛の何処を撫でむ小春かな 北空は青のまさりて笹子鳴く 舟宿を出入の雀小六月 みそはぎも葦も枯れたる風を聴く 忍冬忌 井上弘美 小雪や津軽の藍の小巾(こぎん)刺 曇天のまばゆさに居て忍冬忌 落葉降る高さ違へて古墳群 臘月の小野妹子の古墳かな 雪来るか叔母の逝きたる夜の川 波郷忌 菅家瑞正 波郷忌の空のパンパスグラスかな 一畑に畝十本や霜日和 冬の水とは青空を流すもの 冬めくやクロガネモチの赤き実も 珈琲を飲みに出掛ける落葉かな 冬 柴崎七重 街の灯のしづみて冬のはじまりぬ 酔ひすこしのこりてをりし酉の市 慣はしの二の酉に買ふ福だるま 貼り終へし障子明りの中にをり 八幡宮いてふ落葉を踏み歩く とりあへず 岡野由次 茶が咲いて秩父嶺顕ちて生家なり 総秋田杉が誇りの古障子 もひとつの年詰まりての仏ごと 道に出て鴉の嘴の十二月 とりあへず脱ぎし手袋ねぢこんで 冬の鵙 秋山てつ子 塔頭を仰ぐ即ち冬の鵙 遠くまで見ゆる渚や冬の鵙 沖に出る叢雲速し三の酉 冬の蠅石垣煤けゐたりけり 妹と逢ふ約束や柊咲く 魔女めきて 長沼利恵子 牛乳をぬくめ勤労感謝の日 纒ひつくコートの丈も魔女めきて 明け方の夢のつづきの冬ざくら 掌に囲ふ土笛木の葉降る 小春日や木管楽器鳴り出して 綿虫 石井那由太 一里塚までいちめんの冬田かな どんみりと空曇らすは大綿か 綿虫を掌に寸陰を惜しみけり 綿虫のみちびく先は寂光土 吊革のどこを掴んでゐても冬 三月集 ご命日 きちせあや 初春の清水を汲んで深大寺 無患子の実の明らかにご命日 御墓に拾ふ落葉の五六枚 天神の壺焼芋の予約かな この町に銭湯ひとつ松飾 襤褸市 井上弘美 レノン忌の鋼の巡るオルゴール ぼろ市の小芥子きゆるりと鳴りにけり 嗅ぎ分くる檜くすのき歳の市 ぼろ市の空磔刑の基督に 聖堂の椅子に畳めるインバネス 根曳松 菅家瑞正 この辺で踵を返す竜の玉 筒抜けの空の臘梅明りかな 蔵元の柱に飾れ根曳松 来客の袱紗をほどく淑気かな ひんがしの横雲紅し七日粥 ふるさと 岡野由次 ふるさとが平らになりし寒さかな 納骨のあとの数へ日過ごしをり 滞りなし重ね着も口舌も 首根つこ叩けば寒に入りにけり 切岸のあたり水仙揺れてをり 冬の鹿 秋山てつ子 懸大根向かうの島に灯が点り みそさざい安房も相模もよく晴れて 聞こえゐるやうなかほして冬の鹿 七草の土の匂ひを起しけり 正門を潜つて来たり寒肥し 淑気 長沼利恵子 一服のうす茶が熱し古暦 電飾をくぐり抜けたる風邪心地 水底は流れの速し鷦鷯 何もなき碁盤の上の淑気かな 大筆をゆつくり運ぶ淑気かな 初山河 石井那由太 水音の奥に入りたる三十三才 括られて枯萩影を失へり あをぞらへ照らし返せる龍の玉 影踏みの子らが駆けゆく初山河 七曜の薬ととのへ寒に入る 四月集 二月来る きちせあや はるかにも佇むひとり寒渚 豆打つて養生中の竹林 花の名の漢方薬や二月来る 頭上なる囀り分けて通りたし 四辻に覚えのありて午祭 火炉祭 井上弘美 凍て星をかがよはすなり巫女の鈴 夜の空に斎火をかざす鬼やらひ 高々と火炉組んで地の凍ててをり 投げ入れる破魔矢焔となりにけり 水底にある寒明けの樹影かな 寒晴 菅家瑞正 孟宗の葉よりさらさらしづり雪 待春や釘に吊せる花鋏 大仏を長谷に見て来て寒牡丹 この上もなき寒晴を歩みけり 挨拶の声の三寒四温かな 日脚伸ぶ 岡野由次 着膨れのをりをり硝子透きにけり ストーブや双掌に顔の小さくなり 枯桑の芯の唸りをききとめし 喪つづきの篭りつづきの日脚伸ぶ 灯を点す日脚伸ぶこと言ひながら 寒夕焼 秋山てつ子 退く波に音なかりけり寒夕焼 畑中にあがる日の丸山ねむる 雪踏んで孔雀が羽根をひろげ来る 橙やひとつ違ひの叔母のゐて 人日の白帆の数となりゐたり 江戸古地図 長沼利恵子 早梅のみ空に満ちて師の忌日 吾が顔を寒九の水に映しけり 翡翠の飛んで寒さの戻りけり 月蝕のあかきひかりや春近し 立春の包みひらけば江戸古地図 沈黙 石井那由太 寒の水さざなみをもて沈黙す 筆談の一字一字や冬木の芽 寒木に倚れば師のこゑおのづから 一汁は寒蜆にていのちなが 寒明の空うがちゆくこげらかな 五月集 燭継ぐ きちせあや 春昼の燭継ぐステンドグラスかな 花束の吹きつさらしや四旬節 死者へ来るはがきや春の寮歌祭 存分にしぶける鴨や御所の春 土を買ふ算段なんぞ入彼岸 梅日和 井上弘美 少年の裾や袂や梅日和 経蔵の金の錠前春疾風 手を引かむ母の無かりし濃紅梅 釈迦牟尼をとほく拝する未開紅 紅梅に白梅に空ひとつきり 雪間 菅家瑞正 春水を跳んで少年たりし頃 お天道さまの真下の雪間かな 先づ杭を打ち春耕の始まりぬ 雛段の一番下の牛車かな 裏山の竹のさやぎや雛祭 霜くすべ 岡野由次 噛みながら頷きながら山の独活 啓蟄の剃刀負けにありにけり うかつにも声もらしたる春鴉 振つてみて燐寸よかりし彼岸かな いつしんの手許見えたる霜くすべ 囀り 秋山てつ子 春の雪脈拍数へゐたりけり 掻き溜めし松葉の嵩や西行忌 囀りや上げ潮どきの橋わたる 鳥雲に朝餉の卵かけ御飯 鴨引きて山々高くなりにけり 紅梅 長沼利恵子 浅春の掌に一滴のオリーブ油 紅梅に少し離れて椅子二つ 雉鳴いて畦の高さの御供田 絵の中に白き馬ゐる春暮かな 果樹園の枝の低くてあたたかし 春の鴨 石井那由太 やはらかく岸を押しやる春の鴨 武蔵野の水に染まりて残る鴨 初蝶と翌桧空を頒ちあふ 禽獣の足跡しるき雪間かな 青き踏む歩幅小さくなりしとも 六 月 集 甘茶 きちせあや 青空の冷えて濃かりし仏生会 浴佛も湯呑も小さき甘茶かな 白雲の湧きつぐ玻璃戸花祭 そよぎをる小犬の耳やチューリップ 畦川の浮き立つてくるチューリップ 樹形 井上弘美 梁は深吉野の松薬喰 春雪のまたひとしきり夜の鯉 一木の芽吹き初めたる樹形かな 伝卜部兼好旧居蝶生まる 一塔を仰ぐまぶしさ春の雲 雲雀野 菅家瑞正 あをあをと夜の明けてをり百千鳥 アブラチャン咲き春水の走りけり 雲雀野や袖珍本をポケットに 雨粒をつけて鶯神楽かな 目を瞑る瞼の裏や鳥雲に 桜の頃 柴崎七重 一木の桜大事に逝きし人 妹の墓の下なる犬ふぐり 夜の桜見上げてをりし湯槽かな さりげなく席を譲られ花の下 さながらに母ありし日の蓬餅 それなりに 岡野由次 杖を止むぺんぺん草のさざめきに 花過ぎのまだ生きてゐる声返す 花過ぎの粗末なる杖措きにけり エープリルフール嗽を高らかに それなりに小松の芯もこぞりけり 春窮 秋山てつ子 庭下駄の干してありけり雀の子 青空に続いてゐたり蜷のみち 遅き日や雀の声も人声も ひと握りほどクレソンを摘み呉れし 春窮の鳶の声を浴びにけり つくしんぼ 長沼利恵子 つくしんぼ出るぞと見れば出でにけり まばたきて亀鳴く声を聞きもらす ひと筋の点字ブロック鳥雲に 菊根分背山に雲の湧き出でて 揚雲雀大極殿を越えにけり 花祭 石井那由太 けふといふこの青空の桜かな 清明の筧を走る山の水 雀らは地にこぞりきて灌佛会 松笠の転がつてくる花祭 犬の眼と猫の眼が合ふ日永かな 七月集 旗日 きちせあや 梅は実となる鶏鳴のけたゝまし 帽脱ぎて峰々高き端午かな 駅前に旗日の山女焼く煙 妹を見舞はむ信濃みどり濃し 人に添ひはまひるがほに沿ひにけり 東下り 井上弘美 潜きては水かがやかす川鵜かな 柳絮飛ぶ富田木歩の果てたる地 流鏑馬の馬の面懸緑さす 花楓東下りの業平に 吾妻橋言問橋と穀雨なる 暮春 菅家瑞正 対岸の山並低き暮春かな 長堤の往き来や草は芳しく 道連れは己の影や草若葉 永き日の水は遠くへ流れけり 行春や畑の中の忘れ鍬 夏はじめ 柴崎七重 葉桜に夕べの雨のあがりしか 海はるか日当つてゐる桜の実 初鰹ひとりとなりし身の置き処 仏壇にひらきはじめし四葩かな 朝夕に水打つ路地も五月かな 暮春 岡野由次 わらびぜんまいこもごもの一袋 芳草にきれよき杖を下ろしけり 虻宙にとどまる辺りやり過ごし 春愁の坂がかりとぞなりにけり あつけなき雨に終りし葱坊主 石鹸玉 秋山てつ子 石鹸玉吹いて身ほとり淋しうす 隣る人しづかなりけりうまごやし さざ波の走る速さや春惜しむ 後退りして藤房のよく見ゆる 風吹いてなんじやもんじやの花盛り 黒眼張 長沼利恵子 川に向く紙飛行機や行々子 卯の花や圧力鍋の笛鳴つて ほととぎす川中に置く石二つ 息つまる百万本のチューリップ 阿の形吽の形の黒眼張 鷭の子 石井那由太 蟇出でて上水守となりにけり 暮六つが鳴りて地獄の釜の蓋 寄生木の色を増したる穀雨かな 雉子鳴いて禅林に灯がともりけり 鷭の子の遊びに暮れて水の上 八月集 緑さす きちせあや 緑さす子どもの二重瞼かな 撫で牛の鼻面ひろき芒種かな 抱くチェロと丈の等しき梅雨の人 ひるがほや水口の水三方へ 二三滴苦汁を飲んで梅雨籠 涼し 井上弘美 代掻の朳大きく反転す 水の神山の神梅雨兆すなり 朝風や泰山木は仰ぐ花 一言を涼しく祈る灯かな 踏んでゆく草濡れてゐる旧端午 定家葛 菅家瑞正 山風にその数見せよ朴の花 幽かなる風を捉へて余り苗 古稀過ぎてをり桑の実に指染めて 風匂ふ定家葛の花ゆゑに 棟上げの槌打つ音や麦の秋 秋 柴崎七重 雨の夜やひとりの膳の初鰹 わが肩に来て梅雨蝶と思ふかな 紫陽花を墓のかくるるまで挿して 夕暮のせまりて来たる額の花 柏餅一つ持ち来し父の墓 六月 岡野由次 竹皮を脱ぐとりあへず拾ひけり 一点の梅雨入りの蝶となりにけり ひとまづは日蔭に入りぬ山法師 六月の俄かの照りに負けてをり 片蔭に痩身入りてこともなし 烏の子 秋山てつ子 パレードの通りすぎたる烏の子 おんばこの花にジーパン汚れ来し 制帽の挙手を受けたる片陰り 茂りより羽音翔ちたる司祭館 ジェット機を眺めてゐたり芥子坊主 枇杷 長沼利恵子 丈長きカーネーションを一抱へ 星多き天道虫に好かれたる 枇杷の種こつんと吐いて夜の深し 寝返りを打ちても他郷ほととぎす 耳遠く坐つてをりぬ杜若 老鶯 石井那由太 老鶯と語り合ふべく山に入る 月蒼くして草笛を鳴らしけり 梅雨晴間若駒顔を寄せてきて 青空の青胡桃見るいのちなが 灯を消してよりの高まり河鹿笛 九 月 集 紺 きちせあや 陸橋を越ゆ朝顔の紺提げて 涼めよと淡島さまの青畳 青空に灯す提灯川施餓鬼 夕鳥のはづんで通る土用藤 汐入りの波岸を打つ魂迎へ 外ヶ浜 井上弘美 明易し海を見にゆく北の旅 火をくべて青水無月の漁師小屋 七月の羽根さびさびと鴎らは 断崖の風の払へる夏の蝶 北端の岬の風の黄菅かな 茄子 菅家瑞正 一畑のその二畝の茄子かな 鴇色の明けの雲間やほととぎす 余り苗風の中なる日数かな 流水の夏の音とも言ふべしや 立葵真つ正直を通しけり 西日 柴崎七重 今年酒亡き父の顔ありにけり 膝つきて墓の水替ふ盆用意 朝々の朝顔の花高きかな 両の手に受け梅の実のおびたゞし 妹の墓を捉ふる西日かな 網戸 岡野由次 耳しひの覚え網戸を入れしより 後もどりして廂あはひの栗の花 朝明けや落青柿が道の幅 目を凝らしをりし蜥蜴の尾なりけり 蟻どちの一瞥もなき無聊かな 章魚突 秋山てつ子 海風の交差点なり黒揚羽 曇天のまぶしかりける合歓の花 水打つて閑散とあり刀鍛冶 膳に盛るいさきの煮つけ月替る 章魚突の上がつて来たる磯根松 梅雨 長沼利恵子 梅の実の落ちたる音や微熱出て 明易の乾ける喉をぬらしけり 画眉鳥も夏うぐひすも村境 青梅雨やガラスケースのデスマスク 短夜に使ふエッセンシャルオイル 百日紅 石井那由太 遠く来て浮巣の卵ひとつ見て ほうたるの息ひそめゐる螢沢 しんがりの螢が消えて真の闇 葭切の声を残して水昏るる 老ゆるとは大事業なり百日紅 十 月 集 八朔 きちせあや 押しだまる我へひと声牛蛙 みそはぎの紫ふかむ草の中 みそはぎの過りし風の冷えにをり 八朔の供花ひと束を遠忌とす 夕顔に刻々潤む火星かな 夏終る 井上弘美 夏帽子一機見送るごとく佇ち 大南風吹くや一番滑走路 到着のカタール航空とて涼し リスボンもキエフも遠し南風吹く 空港のプラネタリウム夏終る 蟻の国 菅家瑞正 鶏鳴の遠くより来る青田かな 二人して後ろ姿の日傘かな 萍の幅となりたる田面かな 蟬鳴いて時空遥けくなりにけり 山脈も砂漠もありて蟻の国 秋めく 柴崎七重 佃煮の包みをひらく暑さかな 噴水のしぶきのあがる所まで 海風に答へてゐたる麦藁帽 人声の涼しくなりぬ墓の前 前を行く二人の秋の日傘かな 夏終る 岡野由次 目離せば青ねこじやらし暮れに入る 手をのべて土用の藤と申しけり 炎天を上目使ひに抜けにけり 打ち水となき遣り水となき一弧 一鳥を捉へて炎ゆる日の終ひ 落し文 秋山てつ子 ひぐらしの昼深き路地魚臭し 湘南の海はるかなり落し文 翡翠の消えたる森の沈沈と 声のして家内の暗し花ダチュラ 庭先に出でて五六歩夜の秋 魂送り 長沼利恵子 いちめんに空の焼けゐる魂送り 羽立てて蝶の集まる山清水 神饌の今年の色の李かな 枝張つて杖の太さの藜かな ねむたさの中に凌霄花こぼれけり 涼しさ 石井那由太 涼しさは田溝を走る水の音 ほととぎす鳴くや山湖のかがやきに 水打つて背筋正しくなりにけり わが息をひきゐてのぼる夏の山 勤行の声をふやして濃紫陽花 十一月集 ひと舐めの きちせあや 松風に汗の引きゆく山廬かな 甲州の日焼けを著く墓を守る ひと舐めの真塩が旨し台風来 姿見に立ちし一身休暇果つ あどけなき土偶の目鼻秋彼岸 飛瀑 井上弘美 眼中をなほ落ちてゆく飛瀑かな 頸失せてなほ石佛秋日濃し 絶滅のアロムスデスよ秋高し 盆過ぎの昆虫展の父子かな 桐箱の中の家系図秋澄めり 蛇笏山河 菅家瑞正 一呼吸置いてつくつく法師かな 甲斐駒は遠く確かに威銃 秋めきて蛇笏山河といふべしや 白桃に出刃を入れたる甲斐日和 初風や母屋に煤の匂ひして 秋 柴崎七重 夕空のひろがりゐたる秋簾 ちちははの墓をなでゐる秋の風 雨風は夕べのことや秋の蟬 新豆腐水たつぷりと流しけり 木の影の大きかりけり秋の坂 秋 岡野由次 手庇に鶏頭の朱のまぎれなし 鶏頭の丈の暮色をうべなへり 鶏頭を抱き起こす日が眩しきよ 一点の噛みつき蟻となりて秋 街を離れてしばらくの秋日かな 秋のいろ 秋山てつ子 エプロンに包んで来たり盆のもの 谷川の音の逸れり常山木の実 くさぐさにわたる日のいろ秋のいろ 土打つて三浦郡を去ぬ燕 九月なる水噴きゐたりラプソディー トルソー 長沼利恵子 トルソーを抱いて動かす秋暑かな 歯磨きの塩の利きゐる厄日かな 法師蟬四百年の松の照り てのひらをはみ出す桃を剥きにけり 甲斐犬の人に寄り添ふ秋夕焼 初秋 石井那由太 八月の蛇笏龍太の谿こだま のけぞつておらぶ校歌や夏の果 長堤に鷗ゐならぶ白露かな 木登りの子に見送られ秋燕 秋冷の埴輪は口を開けしまま 十二月集 水澄む きちせあや 水澄むや互に挙げて亀の首 秋雲をひろげひろげて羽村堰 整列の案山子に鐘の正午かな 草の花むらさき多き方へゆく 友の忌のりんだう一輪卓の上 後の雛 井上弘美 夢二忌の雨の降り込む湖畔馬車 雨音にもつともしだれ萩の花 真夜中の雨に馴染める虫の闇 清秋の太郎右ヱ門の壺の藍 鳴きわたる鳥の一群後の雛 野葡萄 菅家瑞正 就床の灯を消して虫時雨かな 産土や畳に届く月明り 妻がいふ今し方鵙啼いたわよ 言ひ様もなき野葡萄の色にこそ 椿の実離れ座敷へ案内され 秋 柴崎七重 坐りなほして秋の夜の畳かな 妹の墓に目つむる秋の風 秋鯖を膳の眞中に置きてあり まぶしみて水の面の秋夕日 目の前の秋日の中の島一つ 蟷螂 岡野由次 蟷螂のうひうひしきを迎へけり 夕鵙も日向薬師も遠きかな 折返しバスの発ちたる酔芙蓉 竹伐りの午後の響きとなりにけり 路地口の一囲ひほど韮の花 秋の薔薇 秋山てつ子 競ひ咲くほどにあらねど秋の薔薇 これよりは上り階段破れ芭蕉 ベランダに鳩来て子規の忌なりけり 秋の蝶開山堂の扉に触れて 散り散りに釣舟のゐて秋彼岸 ヒーローもヒロインも 長沼利恵子 みなしごの一つ離れて濡れにけり ヒーローもヒロインもゐる敬老日 老人の声遠くゐる良夜かな 新聞の細かき文字や火恋し 吊り干しの二本の筆や鳥渡る 秋興 石井那由太 本日は休診日なり鵙高音 水澄みていよいよ細る鷺の脚 はるかなる明六つの鐘秋澄めり 秋興や木の実に袴穿かせもし 惜別のことば短し吾亦紅