藤本美和子主宰の俳句
七月 ライラック
さざなみの失せたる雀隠れかな
砂煙たててゐたるが巣立鳥
北国のいろライラック・プラタナス
リラ冷の空や金管楽器鳴る
プラタナスあふぐ八十八夜寒
なだ万の折詰の紐みどりさす
行宮の肘掛椅子や薄暑光
軽暖の関守石の影いくつ
乾杯のグラスの音やみどりの夜
夢枕ほたるぶくろの明るさに
美和子句 自解
五月
かばかりの茄子苗に水やりにけり
平成七年「泉」八月号に掲載中の一句である。
「雲の会」に出句当時、「うますぎる」という理由で勝彦先生が否定的だった句である。平成七年といえば私は四十五歳。そういえばこのころ、一句が「老成」しているとか、実際の人物像と結びつかないなどと、言われることが多かった。この一句、やや型通りでもあり、いわゆる新人らしくない。「うますぎる」とはその辺りのニュアンスを籠めた言葉であったのだと今にして思う。だが、実体験に基づいて得た句というのはなかなか捨てがたい。
プランターで茄子やミニトマトなどを育てていたこともあって、「かばかり」の苗も「水やり」もまさしく実感。現場で得た句には机上の句にはない強みがある。嘘がない強みである。とも思うが、今の私ならこうは「うまく(?)作れない」だろう。もっと違う形にする。その意味において句集に残しておいてよかったとも思うし、勝彦先生の言葉がしみじみ有難かったとも思う。『跣足』所収。
六月
まくなぎの群はひつぱりあひにけり
「まくなぎ」は「めまとひ」ともいわれる小さな虫。それらが群れていわゆる虫柱を成していたのである。群れながら離れぬ「まくなぎ」のさまに強烈な磁力のようなものを感じた。三十年も前の景だがはっきりと思い出せる。いや、この一句があることで記憶に残っているに違いないのだが……。「ひつぱりあう」という語はおそらく現場で感じた磁力が核にあるはず。だが実際のところ、作者にもこの一語にたどり着いた経緯はわからない。覚えているのは手ごたえのみである。平成六年「泉」九月号での仁喜評はまくなぎの「集合体が二つ」という観点によるもの。私はひとつの群を詠んだつもりだが、数はどうあれ、「磁力」のようなものが出ていればいい。
のちに、蠛蠓の「くなぐ」とは交合を意味する古語(『角川大歳時記』)と知った。現場で感じた磁力はまさに生の力だった、と確信したのである。『跣足』所収。
藤本美和子プロフィール

1950年、和歌山県生まれ。
綾部仁喜に師事。2014年「泉」を継承し主宰。
公益社団法人俳人協会理事、日本文藝家協会会員。句集に『跣足』(第23回俳人協会新人賞)、『天空』、『藤本美和子句集』、『冬泉』(第9回星野立子賞)、著作に『綾部仁喜の百句』、共著に『俳句ハンドブック』等。