藤本美和子主宰の俳句
八月  名刺  

簎は立て銛は提げたる芒種かな
大津絵の鬼の錆朱や梅雨の入り
花南天明るきいろの傘開く
一鱗も欠けてをらざる蛇の衣
短夜の肩書のなき名刺かな
瀬頭のほのぼの白き蛍籠
甲冑の控へてをりし葭障子
遠灘をのぞむ枇杷の実捥ぎにけり
箱庭の水車が回る音は夢
水面に夜空の映る半夏生




美和子句 自解 


八月

鳴くときの身を浮かせたる秋の蝉

 秋の蝉といえば蜩や法師蝉。とはいえ、みんみんや油蝉などもまだ鳴いていることが多いから、まあいずれの蝉でもよい。というのも、上五中七は見たままの景ながら、具体的に「秋の蝉」の実態が詠めたのではないか、と思っているからである。
 ただこの句に対して、当初、仁喜先生の反応は意外なものだった。見たままの景をそっくり言葉に置きかえることができたと思っていたのだが、蝉の生態などよくご存じの先生には至極当たり前のことだったらしい。病床の先生は「ほう、こんなことも一句になるの?」といった様子だったからである。
 だが、「泉」(平成18年11月号)の「佳句鑑賞」では「基本的には観照の句だが、単なる客観にとどまらずもののいのちを見る情の眼が徹っている」「いのちのいとおしさがある。生きものはいのちの全重量をかけて生きているのである。さらでも与えられた刻の短い秋の蝉ならばなおさらのこと」と好意的に評して下さったおかげで、具体的に写実することの大切さを改めて知った句でもある。
2006年作。『天空』所収。
 






藤本美和子プロフィール
1950年、和歌山県生まれ。
綾部仁喜に師事。2014年「泉」を継承し主宰。
公益社団法人俳人協会理事、日本文藝家協会会員。句集に『跣足』(第23回俳人協会新人賞)、『天空』、『藤本美和子句集』、『冬泉』(第9回星野立子賞)、著作に『綾部仁喜の百句』、共著に『俳句ハンドブック』等。