藤本美和子主宰の俳句
十月 水無月の限り   

海鳥も山鳥も来よ翌は秋
  悼 石井那由太さん
水無月の限りの空の雀かな
松毬を蹴りたることも避暑名残
山中の朝(あした)のいろの白木槿
秋口の苞の荒神箒かな
正面にむきなほるこゑ法師蟬
かなかなと鳴き日の入りを唆す
にはたづみいくつ尉鶲幾羽
女郎花遠し男郎花近し
水引の花まばらなる別墅にて




美和子句 自解 

九月

 とある日の子規の献立秋深む  美和子

 九月十九日、今日が正岡子規の忌日。あいにくの天候で月は見えないが虚子の<子規逝くや十七日の月明に>と詠んだ句が思われる。
ともかく健啖家として知られる子規。『仰臥漫録』に書かれている献立の内容に驚く。三食のほかに、「煎餅菓子パンなど十個ばかり」「昼飯後梨二つ」「夕食後梨一つ」……。これは明治三十四年九月二日の献立。亡くなる前年なので子規は三十四歳。年齢を考えるとむべなるかな……とも思うが、この旺盛な食欲はすごい。根岸にある子規庵での作で、他には<鶏頭に糸瓜に触れて忌が近し><大いなる糸瓜の影の小鳥籠>などの句を作った。「とある日の」というフレーズは呟くようにすんなりと口にのぼった語だ。それもこれも子規庵の畳に座り、子規の写真や机に囲まれ、子規の存在が身近に感じられたからであろう。当時の「俳句研究」(二〇〇四・一二月号)の「俊英競詠三〇句」に「深秋」と題して発表したなかの一句。この句について、石田郷子さんが「『どんなときでも平気で生きていること』。たしか子規はそんなことを言っていた。強いというか、柔軟な精神。日記につけたり絵に描いたり、その結果亡くなって時が過ぎても、子規のとある日の献立の記録が現在の私たちの心を癒してくれる。そのことに気付かせてくれる一句」(要約)と評してくれた。子規没後百二十年余り、今も子規は生き続けている。二〇〇四年作。『天空』所収。


 

藤本美和子プロフィール
1950年、和歌山県生まれ。
綾部仁喜に師事。2014年「泉」を継承し主宰。
公益社団法人俳人協会理事、日本文藝家協会会員。句集に『跣足』(第23回俳人協会新人賞)、『天空』、『藤本美和子句集』、『冬泉』(第9回星野立子賞)、著作に『綾部仁喜の百句』、共著に『俳句ハンドブック』等。