2017年  藤本美和子

一月   雪螢 

橅の木に耳寄せて冬近きこと
万両はくれなゐピラカンサは真赤
水に映りて黒松の冬支度
石蕗の花の芯まで水明り
さざなみのくがねしろがねかいつぶり
再会のまづ手袋を脱ぎにけり
てのひらに少しくくもる龍の玉
枯萩の影の濃淡忌も過ぎて
枯菊を焚きたる土のよく掃かれ
深大寺乾門より雪螢

二月    寒に入る       

銃眼の高さといふも日短
一陽来復標本の蝶の数
七草に七つの札が立ちて晴
寒に入る先生の忌を迎ふため
墓までの道を蹤きくる雪螢
枯菊を焚きていよいよ眉うすし
寒四郎土養生の膝ついて
三寒の団子四温のかるめいら
大寒の地(つち)にひびける杖の音
黒松の雨後の雫や三十三才

三月  寒雁       

鳴きながら飛ぶ大鳥の除日かな
風花す塒に鳥がもどるころ
畦を行き堤を行きて日短
日輪の芯ほの冥し冬の雁
極月の夕雲迅し塒鳥
対岸も灯を点すころ古暦
ストーブに最も近き予約席
寒雁のこゑ降つてくる胸の上
水鳥の羽音が近き枕上
暁は沼の裡より雪催

四月  二日灸           

先生の墓所へ伸びたる蜷の道
青鷺の嘴が触れ氷消ゆ
水中のもの芽がつとに紅きこと
青鷺の踏み出す脚も余寒かな
地虫出づ水かげろふに囲まれて
わだつみのかたへの青き踏みにけり
焼野来しにほひもつともふくらはぎ
山巓を雲離れゆく二日灸
組紐の濃きむらさきも暮遅し
囀りの終ひは声の鋭しよ

五月  さくら 

仮の世の色尽したる落椿
疾風を抜けきて蝶の白きこと
つくしんぼ袴最も呆けたる
半日を野に遊びたる茶漬飯
雨雲のはらはれてうぐひすのこゑ
たんぽぽの絮毛とあたらしきノート
エープリルフールの鯉と目が合うて
本丸を過ぎ二の丸の花筵
花時の五十音図をひらきたる
真夜中の空のいろなるさくらかな

六月   利休梅          

切り岸や山吹草の照り翳り
松籟の一番奥の巣箱かな
山畑に火を焚きし跡いたちぐさ
名の山のけふは隠るる茄子を植う
薬草の花の真白き清和かな
蕗畑旧街道を通しけり
うぐひすのこゑほめられてばかりゐる
箸をとる手もとが見えて藤の下
腹帯の白さなりけり利休梅
こどもの日こどもの靴を洗ひけり

七月  青嵐          

岩窪を打つ雨音や旧端午
かろくはたきて明易の山の塵
伽羅蕗を煮つめて山の風荒し
六月の土鈴の中の土玉かな
子燕の口ひらきたる日照雨
縄文の土に影おく夏燕
土笛の歌口冥し青嵐
草矢打つ土偶の乳房天へ向き
荒草のかくまで匂ふ草矢かな
リラ冷や壇上といふひとところ

八月    初蟬          

松の幹曲りて赤し南風
泥鰌見る日傘に入れてもらひけり
夏至の日の泥鰌のかほやとくと見て
半日を厨にこもることも夏至
青梅をころがし選ぶ筵かな
紫蘇の葉を摘んで揃へて裏表
先生の忌日の空の鬼やんま
初蟬に迎へられたる勝彦忌
亡き人や片白草に触れながら
水無月の白鳳仏のほとりかな

九月    ゆきあひの    

虚子庵の縁側に立つ晩夏かな
溜池に残る日射しや草槐
秋桜子全集二十一巻涼
七月の雨とグランドピアノかな
朝顔の裏にまはりて聞く話
ゆきあひの空の映れる清水汲む
葡萄棚潜る最もかひな濡れ
山国の雲脚迅き花煙草
吹かれ散る数のしろばなさるすべり
榧の木の影を踏み抜き秋隣

十月    素描   

秋冷のジャコメッティの素描かな
八月もをはりの雨よ鳥影よ
アトリエの扉がひらき小鳥くる
秋風の方を向きたる肖像画
円卓に肘おくことも秋半ば
秋草の影揺れ交はす昼御膳
銀の匙かりがね寒き音立てて
秋蟬のこゑよく徹る佐久郡
雨兆す二百十日の鬼瓦
一体の塑像の眼窩台風裡

十一月   夕花野          

長き夜の昭和のころの話かな
湖風の朝は荒るる勝鴉
団栗の袴がはづれ雨兆す
蟻穴に入る走り根を走りては
石段を一段のぼる秋の声
草虱手提袋がふくらんで
松籟に浮かびて秋の金魚かな
次郎柿にいろのつてきし日曜日
盆栽にして木瓜の実が五つ六つ
流水に手を濯ぎをる夕花野

十二月   火口湖          

畝立てて鶺鴒の影走りけり
残照のいろとどめたる藪柑子
サフランの花ありジャックナイフあり
溶岩原(らばはら)の溶岩ひとつづつ冬隣
霜降の足跡著き鳥けもの
鮮しき猪のぬた場を跨ぎけり
綿虫にのばしたる手の翳りたる
綿虫が飛んで黒髪山が見ゆ
火口湖の渚を歩く七五三
ぼろ市の鏡やとほきくにの空