2019年  藤本美和子

一月  帆影         

色変へぬ松を抜けくる潮煙
海光のいろも夕べのずずこ玉
潮鳴りに傾(かぶ)く大根畑かな
夕潮や只管あをき仏手柑
海潮の濃きにたためる秋日傘
島影よ帆影よ冬の近きこと
半島の一番高き山さやか
にほどりのくぐりてこゑの残りけり
囲はれて厚物咲も枯れに入る
縁日のお不動さまの浅漬ぞ

二月  空艪        

笹鳴を聞きとめゐたる歩幅かな
快晴の三日続きや狸罠
科木に宿木いくつ鬼あそび
縁日の松に日当たる紙懐炉
身を揺すり出でたるこゑの初鴉
闘牛のことに及べる初電話
糯米の湯気上げてゐる六日かな
富士見ゆる峠やはこべほとけの座
さざなみの向き変はりたる寒波急
命日の空艪の音も寒の内

三月 一重瞼         

畦道のここに集まるどんどかな
訓練を終へしばかりの消防車
枝折戸の閂落とす寒の内
風鐸に寒禽のこゑひびきけり
一重瞼寒紅梅を素通りす
白板の余白が広し春を待つ
寒鯉に降りかかりをる松の塵
寒鯉に身を寄せて聞く訃がひとつ
みづうみにゆふべが近し寒蜆
探梅の装束にして白尽す

四月   護符         

本館を出て分館へ春の雨
三月の昼の厚焼卵かな
狼の護符が一枚水温む
紅梅に雨白梅に雨の音
蛤つゆに夕景となる島の影
風紋のところどころの暮れかぬる
春禽の一羽のこゑや扇状地
芽起こしの雨の音なり熨斗袋
雛僧の手籠はこべの色あふれ 
春潮の音溜まりくる土不踏

五月  小鳥引く       

春濤を見るため畳む傘の骨
啓蟄の砂のこりたる虚貝
ブレザーの内ポケットや鳥の恋
城山の風に煽られ蜷すすむ
春分の土養生の巻脚絆
椋鳥の発ちたる数も彼岸寒
均さるる畑の土や小鳥引く
彼岸会の男がつかふ花鋏
磯草を引つ提げてくる卒業子
花冷の尾の透きとほる陸封魚

六月  名残雪         

接骨木の花を泛べる墳の上
逆潮やぺんぺん草の丈吹かれ
水中を鵜のすすみゆく飛花落花
なべてこれ翁のおたまじやくしにて
剪定の枝寄せてある斜面かな
切岸に一舟を寄せ春惜しむ
舟おりていづこも春の寒きこと
大川の見ゆる二階や名残雪
高塔に夕日が濃しや花粉症
春の蚊を飼ひ馴らしをる居留守かな

七月  熊の胆        

つばめ来るころや阿仁またぎの系図
薇の干し上がりたる一筵
熊の胆を舌にのせたる薄暑かな
みどりさすもののひとつに熊の糞
歳月の日を照り返す秋田蕗
水馬のかくも黒しよ隠れ沼
濁流の嵩増しくるや燕の子
軽鴨の子の数揃ひたる亭午かな
携帯電話圏外の生ビール
啄木の手筋の文や走り梅雨

八月  雪溪         

籜(たけのかは)富田木歩の終焉地
桑の実の食べごろとなる忌日かな
汗拭ふたびに根付の鈴鳴つて
雨が降る真白きハンカチーフかな
雪溪の眩しきときよ筬の音
涼しさの機織唄をうたはんか
順三郎詩碑を慕へる蟻の道
黒牛の胴声近し緑濃し
鼻綱をはふり投げたる草茂る
白鷺のひとこゑ浴ぶる祝酒

九月  紫陽花忌       

雨止んで四葩につかふ花鋏
草を刈る手許が見えて堰の水
亡き人の横顔ばかり河鹿鳴く
山蟻の脚よく上がる忌日かな
老鶯の互みにこゑを張る山家
夏萩のこぼるる座敷童かな
蓮の葉に蓮の葉が触る花頭窓
降りみ降らずみ亀の子の足が見ゆ
海鳥の尾羽の白き衣紋竹
ことごとく昭和の本や紫陽花忌
幌かけて運ばれてゆく胡蝶蘭

十月  涼新た         

鬼やんま正面の顔見せにけり
つくつくし佳境のこゑとなり迅し
かなかなの夜半過ぎたる翅のいろ
有の実の八等分の壱の影
梵鐘のうちがは仰ぐ野分晴
秋蟬の声聴き分けよ誕生日
木歩忌の川風を聞く朝かな
篤とみて二百十日の蠅のかほ
幕あひのひらきてたたむ秋扇
涼新た坂東玉三郎のこゑ

十一月 サフラン      

秋蟬のこゑのかさなる妣の国
初七日の風に浮きたる葛の花
母をらずなりたる空の秋燕
サフランのうすむらさきの服喪かな
いちにちの時分のいろや酔芙蓉
竹林を過ぎて畳める秋日傘
澄む秋の音を立てたる五郎太石
種を採りたる朝顔の赤と青
左隻より右隻へ飛んで石叩
言葉待つ草の穂に風わたりけり

十二月  秋の名残      

露踏んでこゑかはりたる男の子
団栗の降る音繁き湯桶(ゆとう)かな
九年母はあるはずといふ浜離宮
指の股ていねいに拭き鳥渡る
くさぐさは露結びたる鳥のこゑ
真筆のひと巻拝す暮の秋
色鳥やひと巻は母恋ふるうた
線香の一束を解く冬隣
御墓に映りて秋の名残かな
山中の十一月の虫柱