2021年 藤本美和子 一月 旅心 読初の本の扉のサインかな 久闊を叙する落葉の嵩踏んで 裸木の影改まる指定席 雨音に枯れすすみたる河原草 せせらぎの音溜まりくる落葉籠 綿虫に蹤きて歩けば他郷かな 自転車の傾き止まる御講凪 吹き抜けのある間取り図や枇杷の花 解体の家の埃や枇杷の花 鳰のこゑ聞きとめてより旅心 二月 左義長 お湿りのほしき七種はやしけり 松明けの子がスケボーに乗つてきし 命日の川筋のぼりゆく四温 投函す冬木の桜抜けてより 遅れきし婆が加はり飾焚く 左義長の炎の影を踏みわたる 晴れきはむ空やどんどの火の谺 燦々と煤の降りくる吉書揚 餅あはひ小川と小川行き合うて 夜は雨の予報の鏡餅開く 三月 久女忌 一天に雲なき杉田久女の忌 いにしへの道をたどりて梅探る 春寒料峭水に鳥草に鳥 右へならへぺんぺん草は花盛り 新しき幣の白さや寒戻る 老人の目が奥にあり猫柳 夕暮は富士よく見ゆる仏の座 芽柳の吹かれていろをうしなひぬ 濁りきつたる水を曳き春の鳥 白鷺が脚揃へ飛ぶ春の夢 四月 流離 白梅の影の明るき東歌 蟇穴を出づ山風を疑はず 蟇出でて武蔵国の土のいろ 蟇穴を出でたるこゑを張りにけり 五葉松盆栽の数雛の宿 人去りて風の木となる藪椿 霜除けをとるねんごろなをとこの手 白鷺が翼をひろげ冴返る 青空にひとしき雪割草一輪 流離の顔が映れる春の水 五月 花惜しむ 蝶生るふたつながらにくがねいろ 松毬のころがる音も春遅し 男の子らはぺんぺん草に母を呼ぶ 雲雀野の真ん中をゆく水迅し 奉納と刻む碑松毟鳥 脳天に降る鶯の谷渡り 片栗の花もをはりのなぞへかな 霾るや大きな鳥が低くきて 花惜しむ鳥は翼を水平に 夕暮に残るさくらと水の音 六月 ピアソラ 西国の旅のはじめの苗木市 壺焼の炎の影や沖つ島 落日に数の増えくる小判草 草原の起伏もさやに暮の春 月の出の遅きに雀隠れかな 残花余花魚影いづこにもあらず 楠ふき子さん 作者亡き絵本の原画春惜しむ 黄金週間ピアソラのタンゴ曲 漆黒の翼八十八夜寒 八十八夜山際の山の塵 七月 旅枕 土塊の乾きやすさよ燕の子 画架を据う青葦原の風の端(はな) デッサンのはじまるまへの画布南風 ひと筋の天蚕糸(てぐすいと)なりさみだるる 濁り鮒欅の影のおよびけり 夕日より一尺上をつばめ魚 草笛の鳴らずじまひや旅枕 夕空のだんだん朱き栗の花 ハンカチのたたみてしろき夜更けかな 籠り居のひと日ひと日やバナナの斑 八月 玉虫 花茣蓙に杉田宇内の書簡読む 花茣蓙の花にはとほき端座かな 石庭の深き筋目も五月晴 子蟷螂銀座の風にまぎれ飛ぶ 口開けて鯉の近づく夕端居 蛇の髭の花に囲まれ忘れ水 やまももの影やまももに染まりたる 君がため楊梅の実は掃かでおく 七月九日 命日の四万六千日の雨 奔湍に玉虫は色失せにけり 九月 神の森 朝蟬のこゑをひとへに神の森 青鷺の虚空の翳をふりあふぐ 立ててくるなり父と子の捕虫網 神木にたてかけてあり捕虫網 花南天母屋の引戸重たしよ 石庭の渦の筋目や土用東風 風道にかほを上げくる山の蟻 山風に笹の鳴りたる星祭る 大坂黎子さん 蜻蛉の名をしへくれたる汝とほし 夜の秋の託けひとつ文ひとつ 十月 思ひ草 風涼し築百年の床柱 東京の夜空が朱し缶ビール 青ぶだうしんしん太る留守居番 枝豆の湯気あげてゐる三回忌 空堀は城の名残や思ひ草 玉章のいろうらわかき縞目かな 母からの文読み返す星月夜 芋の葉のかく揺れゐるは雨を呼ぶ 秋燕の影の次々湧く四辺 空堀の北の南蛮煙管かな 十一月 寺の萩 いにしへの文のことなど萩の風 地獄絵図極楽絵図も秋なかば 朱雀門秋の七草そろひたる ひとごゑに梵鐘の音にこぼれ萩 仲秋の格天井の絵解かな 鉾杉の影に入りたる秋遍路 おほかたは白ばかりなり寺の萩 弥陀仏を拝してよりの落し水 蘭の香や午後には雨のあがりさう 夜は山の音を立てたる木の実かな 十二月 冬館 市中に古書を選みし秋土用 席入りの顔ぶれそろふ秋の暮 山国の秋もをはりの湯桶かな 晩菊は黄のひと色や甲斐の国 ふくらはぎ辺りに繁きゐのこづち 水分りの石は三角今朝の冬 蕎麦を刈り残す畑やひとつ星 冬蝗顔の大きくなりにけり 鞍障泥鐙一式冬館 湧水の音に夜がくる古暦