一月 波郷忌
波郷忌の大きな柚子を賜りぬ
おほわたのひとつ寄りくる手が熱し
おほかたは枯れ尽したる水の上
紅葉散る隠沼てふはこのあたり
水鳥の羽ばたく音も闇の奥
山桑の木や潔き枯れの音
大根の穴と青首大根と
城跡の端に見えたる焚火の火
寒潮を見てきしといふ顔そろふ
沖に鮫安楽椅子がきしみけり
二月 富士
防人の峠つつじの返り花
親潮と黒潮のあふ年用意
極月のてのひらにおく稚貝かな
北溟の波の白さよ尾白鷲
結局はポインセチアを買はぬまま
一陽来復草の穂絮がかくも飛ぶ
富士みゆる小径に出づる冬木立
前方に川をのぞめる初神楽
一管の笛の音に乗る初雀
手庇に富士引き寄する四日かな
三月 鬼打豆
神杉の葉をふりかむる初景色
前方に川をのぞめる初神楽
雪吊や一朶の雲も寄せつけず
おおるり句会席題「余」詠みこみ
土鳩二羽寒鴉二羽以下余白
悼 高野美智子さん
一塊の寒鯉の向き人偲ぶ
水分(みくまり)の水のかたへの冬菫
見目形よき赤蕪ばかりにて
裏山に人音のあるおじやかな
山房や鬼打豆をかくも打ち
雀色時下萌の土のいろ
四月 節分草
仄々と節分草の四辺かな
駒返る草のなかから鳩が出て
春寒料峭鴛鴦の思ひ羽
木の芽張る水の上は鳥睦みゐて
老人の杖の触れたる蝌蚪の水
昼中のうすき塵おく蝌蚪の紐
小綬鶏が鳴く背戸口が開いてゐる
水温むころとなりたる笛太鼓
夕景としてまんさくの花盛り
ひと夜さの雨のありたる草を摘む
五月 野遊び
三月の半旗の影よこどもらよ
水草の根が見えてをる余寒かな
地虫穴を出づ斎竹は垂直に
猫柳懐紙を折りたたみ
水中に鯉の目があり冴返る
さざなみの日向日陰や水草生ふ
かたかごの花やいにしへよりの風
亀に会ひ翡翠に会ひ青き踏む
賓の眉間をひろく野に遊ぶ
サフランをワインに浸し花ミモザ
六月 夢違へ
蛇出でて凸面鏡のうちの景
永き日や翁の隻句などに触れ
接ぎ松の節や伏流水響く
降りみ降らずみ山中の仏生会
乳呑児の足のうら見ゆ花筵
照鷽といひ雨鷽といひ万花
海潮のさしくる雀隠れかな
湧水のし吹く八十八夜寒
春夫忌の空をあふぎて吹き戻し
吹き戻し…玩具
河骨の花鮮しき夢違へ
七月 亀の子
蕗のすぢとりしばかりに雨兆す
岳麓や早苗蜻蛉はつがひにて
赤ん坊泣く水馬は高く跳ぶ
半時を遊ぶ亀の子三匹と
鳥を待つことに決めたる白日傘
鳥声のけはしき茅花流しかな
ご祝儀や青芦原の風を受け
天上に胸うつくしき夏燕
ぎしぎしの花の中より婆の声
渓風の深吉野村のすもじかな
八月 山河
形代のうすがみに透く山河かな
岩を打つ水のしぶきや祓草
作り滝巫女の緋袴通しけり
あめんぼのとほく跳べるは雨を呼ぶ
文字起こす手許が暗し青嵐
文を書く花南天の明るさに
山崖に水の噴き出すえごの花
路の辺の老人を訪ふ水見舞
太陽の方へ穀象虫歩く
みなづきの錫の水引細工かな
九月 結縁日
炎昼の投票箱の口の閑(ひま)
足の指手の指ひらく土用中
断崖の影に入りたる遊び船
短夜の松風を聞く旅枕
花茣蓙の花の座が空く勿体な
観音の結縁日てふ心太
かなかなに烏帽子浅沓そろへおく
空蟬をのせおく五年日記かな
生垣をかくも刈り込む夏の果
蟬の声聞く啞蟬の旦暮かな
十月 水無月の限り
海鳥も山鳥も来よ翌は秋
悼 石井那由太さん
水無月の限りの空の雀かな
松毬を蹴りたることも避暑名残
山中の朝(あした)のいろの白木槿
秋口の苞の荒神箒かな
正面にむきなほるこゑ法師蟬
かなかなと鳴き日の入りを唆す
にはたづみいくつ尉鶲幾羽
女郎花遠し男郎花近し
水引の花まばらなる別墅にて
十一月 海女の笛
八朔の祝鳥獣戯画絵巻
一匹がこゑを張りたる虫籠かな
補陀落の風にたちたる稲雀
潮の香は午後から強し草の花
べた凪の浜砂を踏み秋半ば
秋興やとほき島影かぞへては
漁火のひとつ増えたる夜長かな
待宵の広くなりたる水の上
蛸壺の累々とある月の入
帰るさの身に沁みて聞く海女の笛