2025年
一月
かはせみの突つ込む水も初景色
「かはせみ」は歳時記では夏の分類になっているが季節を問わずよく見かける。
近所の片倉城址公園の傍をながれる湯殿川のほとりを歩いていると必ず見かける。この句もまたそうだ。鴉や雀は初鴉、初雀として新年の季語に立項されているが「かはせみ」はない。それでも「翡翠」とも書き、コバルトブルーとも呼ばれるあの翼の色は瑞兆の色といってもいい。獲物を見つけたときの敏捷性のある動きもまた正月にはふさわしくめでたい。作者としては中七の「水も」の助詞「も」に祝意をこめたつもりである。
ずうっと以前、大木あまりさんが私の作句姿勢を「かわせみ」に譬えて下さったことがある。そうして「水辺の狩人、カワセミの美和子」とまで言って下さったのである。水辺が好きで「かはせみ」に出会うとちょっと得をした気分になるわたくしには嬉しい言葉でもあった。そんなことを思い出す句である。 2013年作。『冬泉』所収。
二月
姉妹のひそひそ話梅ひらく
「姉妹」には「おととい」とルビをふっている句である。私の場合、俳句でルビをふることはほとんどないから、ちょっと珍しい。この句は、
姉妹や麦藁籠にゆすらうめ 虚子 (『五百句』)
の虚子の一句に倣った。虚子の「姉妹」には「おととひ」のルビがある。虚子の句は『高浜虚子全集』によると「昭和三年七月十四日。婦人俳句会」で作られた一句。『広辞苑』には「おととい」は「弟兄」となっており、「兄弟。また、姉妹」とも記されている。やや強引な読みだが「おととい」という調べが心地よく響く。調べに触発されて作った句である。実景ではないが、いわさきちひろの絵が好きだったから、その影響があるかもしれない。
作句時は意識しなかったが、「おとといのひそひそばなしうめひらく」にはI音が多い。三好達治が母音のAは鷹揚であたたかい感じがする。EとIは鋭くつめたい、とどこかに書いていたが、韻律に早春の季節感は出ているかと思う。 2019年作。『冬泉』所収。
三月
自転車の荷台を使ふ雪間かな
「雪間」という季語を初めて知ったときの句である。季語に触発されてさまざまな景が思い出された。さまざまとはいえ、ささやかな主婦の日常の景。仁喜先生からは「こういう句がもっとできるといい……」とも直接助言を頂いた句だ。特別なことではなくともいい。身の周りにある些事が一句になるのだということを知った。
同時掲載句に<探梅の石の上なる土不踏>もある。新年句会で先生一人の選に入り、短冊を頂戴した。これもまた些事だが石の上に立った時の土不踏の感覚は今もある。本当に自分が感じたこと、心動かされて詠んだ一句は読者には通じるという確信を抱いたのである。
「泉集鑑賞」に於ける仁喜先生の評は「あたりにちょっとした作業をする台になるようなものの何もない雪間道。自転車のスタンドを立て、荷台を作業台として使う。例えば主婦同志の買物袋の中身の入れ替えでもよい。主婦の知恵だが、それが「雪間」に新鮮な一面を加えることになった。こういう句は想像ではなかなかできないものである」。
この評の「想像ではできない」という言葉をいつも大事にしている。些事であれ何であれ、自身の心が一瞬動いた「こと」や「もの」……。即ち実感を大事にしようと心に決めた句である。
初出は平成五年「泉」四月号。『跣足』所収。
四月
本館を出て分館へ春の雨
「春の雨」は「春に降る雨の総称である」と歳時記にも書かれているが『三冊子』では「春の雨」と「春雨」ははっきり峻別されていた。それに従うと掲出句は早春の雨である。
それはともかく、掲出句は事実をそのまま素直に詠みとめたまでである。泉の例会が芭蕉記念館で催されたときの句で本館の会場がとれず分館での句会となった時のこと。たとえ、会場が分館であっても、必ず本館には寄るのがわたくしの倣い。というのも本館の裏木戸から隅田川沿いに分館まで歩くコースが好きだからである。そして都鳥を仰ぎ、遊覧船が行き交う大川を眺める。掲出句もその道すがらふっと呟くように生まれた。もちろん句会にも出した。
いつも思うのだが事実を詠みとめただけの句には衒いがない。つまり無理がない。その分強さがある。この自然体のよろしさを生かしてくれているのが季語「春の雨」であると思う。「春の雨」の持つもの優し気な趣とちょっとした華やぎ。他の季節の雨ではこのよろしさは出るまい。この句のおかげでこの日の雨の景は今も鮮やかだ。
2019年作。『冬泉』所収。
五月
かばかりの茄子苗に水やりにけり
平成七年「泉」八月号に掲載中の一句である。
「雲の会」に出句当時、「うますぎる」という理由で勝彦先生が否定的だった句である。平成七年といえば私は四十五歳。そういえばこのころ、一句が「老成」しているとか、実際の人物像と結びつかないなどと、言われることが多かった。この一句、やや型通りでもあり、いわゆる新人らしくない。「うますぎる」とはその辺りのニュアンスを籠めた言葉であったのだと今にして思う。だが、実体験に基づいて得た句というのはなかなか捨てがたい。
プランターで茄子やミニトマトなどを育てていたこともあって、「かばかり」の苗も「水やり」もまさしく実感。現場で得た句には机上の句にはない強みがある。嘘がない強みである。とも思うが、今の私ならこうは「うまく(?)作れない」だろう。もっと違う形にする。その意味において句集に残しておいてよかったとも思うし、勝彦先生の言葉がしみじみ有難かったとも思う。『跣足』所収。
六月
まくなぎの群はひつぱりあひにけり
「まくなぎ」は「めまとひ」ともいわれる小さな虫。それらが群れていわゆる虫柱を成していたのである。群れながら離れぬ「まくなぎ」のさまに強烈な磁力のようなものを感じた。三十年も前の景だがはっきりと思い出せる。いや、この一句があることで記憶に残っているに違いないのだが……。「ひつぱりあう」という語はおそらく現場で感じた磁力が核にあるはず。だが実際のところ、作者にもこの一語にたどり着いた経緯はわからない。覚えているのは手ごたえのみである。平成六年「泉」九月号での仁喜評はまくなぎの「集合体が二つ」という観点によるもの。私はひとつの群を詠んだつもりだが、数はどうあれ、「磁力」のようなものが出ていればいい。
のちに、蠛蠓の「くなぐ」とは交合を意味する古語(『角川大歳時記』)と知った。現場で感じた磁力はまさに生の力だった、と確信したのである。『跣足』所収。